八幡公民館

 八幡公民館の歴史は終戦直後、敗戦の混乱も覚めやらぬ昭和23年にさかのぼる。当時の日本は極端な物資不足と社会混乱な中、軍国主義から民主主義へ、郷土再建、生活安定への願いが国民運動として全国に展開していた。昭和21年文部省が次官通達で公民館設立運動を提唱、各地で公民館が開花する。

 この年11月、県下第一号の公民館が柏市に誕生、八幡公民館は翌22年6月千代田町、佐倉町とともに第2グループとして産声を上げた。文部省資料による22年8月の千葉県内公民館数は12、24年社会教育法制定、翌25年8月は県内310市町村で103館に達した。公民館は民主主義普及、町づくり、人づくり拠点として全国に展開していった。


 八幡公民館の提唱者は当時町長で初代公民館長になった菅野儀作氏であった。八幡町ではこれより先の昭和23年3月、戦後の教育改革で誕生した八幡中学校の初代校舎を現在八幡公民館の地に自分たちの手で建設させていた。町には建築ノウハウと資材、何よりも町づくりにかけた町の人たちの情熱があった。

 幸い中学校建設の時、つてを頼って貰い受けた旧習志野騎兵連隊の厩舎の残材が残っていた。工事は職工組合と町民がボランティアで、電気設備や幕、備品は町の人たちが寄付することになった。建設地は飯香岡八幡宮の境内で現在飯香岡通りになった浜本町側鳥居あたり、「許されよ神木倒すも国のため」用地の松林が切り開かれた。句会で詠んだ菅野氏の一首がいまも公民館の2階に掲げられている。

 

 町、議会、職工組合、町の人たち、一丸となった勤労奉仕が始まった。建設委員長を勤めた白鳥孝治氏は当時県の社会教育副委員長を勤め、のち2代目館長として千葉県公民館連絡協議会を立ち上げてその初代会長となる。菅野氏と白鳥氏は毎日ゲートルを巻いた作業着姿で建築現場に立った。3ヵ月後の昭和23年6月26日竣工、2階建て木造延べ237坪。

 当時斬新デザインの洋風木造建築で収容人員は1階講堂、2階あわせて2千人であった。

 建物で一際一目を引いたのが八幡観音町に居住されていた日本画家・山口達画伯の天井絵「四季の花」であった。制作期間わずか10日間、八幡中学校の作法室で栄養剤の注射を打ちながら連続徹夜の強行軍、完成と同時にばつたり倒れ、晴れの開館式にも出席できなかったというエピソードが残っている。
書家として知られた浅見喜舟先生も「八幡建設の歌」と「座右の銘」を寄せた。ともに八幡公民館の精神として大切に保管されその後の発展を見守っている。

 文字どおり県下最大の公民館として華々しくデビューすることになった八幡公民館だが、
その後の活動にも目を見張るものがあった。

八幡町のシンボルとして戦後の地域新生活運動、民主化運動の拠点となったのである。
公民館は総務、教養、社会、産業、集会、保健、体育の7部門で構成され、青年連盟、
婦人会、ボーイスカウトなどが相次いで誕生した。

 また、結婚式や七五三、敬老会、成人式会場のほか、芸能大会や公演会場、映画館に
変わった。  また、県の公民館のまとめ役としてリーダー的役割を果たしたりもした。

 八幡公民館のこうしためざましい活動は教科書にも取り上げられ、昭和23年に優良公民館として
全国第一回の文部大臣賞受賞の栄に浴したのである。




 昭和30年代の八幡海岸埋め立てと工場誘致は、八幡を海の町から地方工業都市へと大きく変貌させた。五井町など近隣町村と合併、市制も布かれた。

 八幡中学校は生徒数増加と設備老朽化のため、昭和45年駅反対側の現在地に移転、八幡公民館も駅周辺の交通道路整備工事のため親しまれた創設の地を譲り、昭和46年八幡中学校跡地の現在地へと移って装いも一新した。

 そして今日、地域文化の殿堂としての役割をはたしつつ、創立60年の年輪をきざんだのであった。

 八幡公民館とやわた60年間の歴史は正にわが国戦後史そのものでもあった。

神木供養句会額  昭和23年

終戦直後、昭和22年の「学生改革」で、
八幡中学校が誕生、飯香岡八幡宮の境内を校地に定め、新校舎の建築工事が始まります。建設現場では樹齢百年余りの赤松の神木が次々に伐採されました。

町で「神木供養句会」が開かれたのでしょうか。町長以下の句に神木を悼む悲しみの一方で新しい町づくりの熱い決意が感じられます。


座右の銘

無道人之短無説己之  議庸何傷無使名過実
長施人慎勿念受施慎  守愚聖所臧在湟貴不
勿忘世誉不足慕唯仁  淄曖曖内含光柔弱生
為紀綱隠心而後動謗  之徒老氏誠剛強行行
鄙夫志悠々故難量慎  行之苟有恒久久自芬
言節飲食知足勝不詳  芳  漢 ・崔子玉座右銘  喜舟

 

八幡公民館のあゆみ      今年創立60周年を迎えました。

昭和23年  八幡公民館開館  
        千葉県2番目の公民館として、開館、地域住民の生活
        改善のための施設としてリーダー的役割を果たした。

昭和24年  文部大臣賞受賞

昭和38年  市原市立八幡公民館

昭和47年  現在地に新築移転

昭和51年  八幡武道館開館

昭和61年  体育館などを増設

平成 7年  市民ギャラリーを開設

平成 9年  サークル登録団体連絡協議会を結成

           八幡町大観    1階ロビーに掲げられています。

  八幡が「海の町」だつた当時を描います。作者は不詳ですが、昭和戦後期の八幡を記録しています。絵図から、北は村田川渡舟場旧跡、ここが最後の地となった「千葉康胤」の胴埋塚、市川国府台で志半ばで敗死した八幡御所・足利義明の墓、江戸時代の八幡港と戦後の潮干狩場、江戸時代からの旧家などなど「歴史の面影」が今も息づいています。


むかし八幡は「海の町」でした。八幡公民館などが並ぶ「白金通り」の50メートル先は海、満潮時はコンクリートの岸壁まで波が押し寄せ、潮が引くと4㎞もの干潟が広がりました。海は波静かで遠浅、潮干狩りや海水浴場としてにぎわいました。

当時八幡中学校校庭だつた運動公園は臨時駐車場となり観光バスでいっぱい、岸壁から海にせりだして着替えや食事、飲み物を売る「海の家」が立ち並びました。

昭和26年5月5日 端午の節句

昭和26年6月24日 早苗振舞踊大会

昭和26年6月24日 早苗振舞踊大会

昭和26年9月18~20日 
     第一回公民館主事研究会

昭和27年 1月20日 成人式

昭和27年 5月11日
    母を讃える会 賢母表彰式

昭和27年 6月27日 早苗振

昭和27年 6月27日
    県下青年学級研究協議会

   

昭和27年 8月16~18日
         修武会剣道講習会

昭和27年 合同 七五三祝い

昭和28年 5月 合同節句

  最後までご覧頂ありがとうございました。

八幡公民館は今年創立60周年を迎えました。

昭和23年6月県下2番目の公民館として誕生、昭和47年に八幡中学校跡の現在地に移って
今日に至りました。

時代は戦後から昭和の高度成長期、そして平成に移るとともに公民館もこの地域も大きな変貌をとげました。

これからも八幡の発展と共に公民館も発展し続けることでしょう。