山口達画伯作品

山口達画伯 (やまぐちたつ 1907〜1991)

昭和の戦前、戦後期、八幡を拠点に活躍され

た著名日本画家。福岡県に生まれ、東京芸大

卒業後、市原中学校(現高校) 教員、千葉大

学教授として多くの逸材を送り出されました。

山口達画伯年表

1907年 明治40年    福岡県八女郡福島町に生まれる。

1930年 昭和 5年    東京美術学校 (現東京芸術大学) 卒業  
                 前田青邨 (東京芸術大学教授・文化勲章受章者) に師事            
1931年 昭和 7年    美術教師として、旧制市原中学校に着任 
                 以降 千葉県立千葉高校、千葉女子高千葉大学等に勤務

1953年 昭和28年    院展初入選  (第38回院展)  以降 計7回入選 
                 第41回、42回、45回、46回、47回、55回
                 雅号  一穂 (いっすい) を時折使用する。

1957年 昭和32年    第42回で院友推挙 院友となる

1974年 昭和49年    千葉三越個展  以降数回開催 二人展、三人展、師弟展開催

1983年 昭和58年    市原市美術会 2代会長に就任  昭和63年まで

1985年 昭和62年    京葉画廊個展

1987年 昭和62年    千葉三越個展  最後の個展となる

1991年 平成 3年     逝去                       市原市資料から  

浜辺にて

新秋の山々   

最盛期はたびたび上信越方面へスケッチ旅行に出かけられていたようで、
この作品はその方面の山々を描いたものと思われる。

八幡公民館天井絵

この掛け軸は姪御さんのひな祭りのお祝いに書かれたものだそうです。

弥陀三尊来迎図

右側は余白、救いに向かわれる対象物が暗示されている。
雲が左上にたなびいている。それにスピード感が現れている。
このような図案を特に早来迎とすう場合もある。

                          昭和40年11月 山口 建

襖絵

 襖絵
花鳥図

瑠璃牡丹図とでも名づけられようか、先生の得意とする牡丹が大胆に描かれ
枝へ鮮やかな瑠璃色の鳥がとまっている。

                                昭和40年11月 建

聖観世音菩薩像 初々しいお姿で見るものを清々とさせる。

立ち木地蔵

ある地方の伝説に基づいて描かれたもの。立ち木の中から地蔵様が出現し
村の抱える問題を解決してくれたという話を題材にしたもの。
どこの地方の話かは先代住職から聞き漏らした。

聖観世音菩薩像  同じ観世音菩薩像でもこちらは重厚で納得させられる雰囲気である。

法然上人像

某寺 天井絵

某寺 天井絵

某寺 天井絵

某寺 天蓋

この仏像は紙粘土で作られているとお聞きしとても
ビックリしたしだいである

大師衣  
       

だいしえ という袈裟の一種です。
先になくなられた奥様、山口しげさんの遺物の豪華な帯を京都の法移転法衣店に特別に
依頼して袈裟に仕立て上げ、そこへ山口画伯が、四季の花の中でも得意とする種類が
描きこまれている。

これらの作品はスケッチブックからの抜粋です。

紙芝居仕立て  「法然上人絵伝」

岡山 美作は津山の 押領使 という地方役人の家に生まれた。
幼くして父の悲惨な死に目に遭う。父親の最後の言葉を胸に秘め、当時の学問の中心である比叡山にのぼり学僧になるところまでを大和絵の技法を守り絵巻物風に描いたもの。
きっとこの続きが切望されたであろう。

表 紙    銅 像

勢至丸さま

私達の勢至丸様のお話です。

この像を御覧なさい。 これは京都の知恩院の境内にある勢至丸様の御像であります。

何と云ふ気高い 何と云ふお強そうなそして又どことなくおやさし味を持って居られる御像でせう。

それでは静かに勢至丸さまのお話を申上げることにいたしませう。

誕 生 寺

今から八百十六年前 ( 西暦1949・昭和24)のことです。岡山県の美作の国久米の片ほとり、南條稲岡と云ふ所にお生まれになったのが、勢至丸さまであります。

緑の山、美しい小川、澄んだ大空、落付いた自然は大偉人を生み出すのにふさはしい所であります。

御誕生になられたお邸の跡は今では誕生寺と云ふ立派なお寺が建って居り、岡山から津山へ行く中国鉄道の駅の名前も誕生寺駅とつけられています。

御 両 親

勢至丸さまの御父様は久米の押領使で漆間の時国と申上げ、此の地方の取締りをする高いお役目の武士でした。

お父様もお母様もだんだんお歳をとって来られるのに、お子様がまだありません。 「後嗣が無いのは淋しいことだ」 とお考えになり「どうか後嗣が出来ます様に」 と 毎日み佛様にお祈りになりました。

ある夜のこと、お母様が剃刀を呑む夢を御覧になったかとおもふと、目が覚めました。 不思議な夢もあるものだと、此のお話をなさいますと 「それはきっと偉いお坊さんになる様な男の子が生まれると云ふ夢だろう」 と お父様もお喜びになりました。

お 誕 生  其ノ一

山の桜も咲きそめた 四月七日・・・・お釈迦様がお生まれになった四月八日の前の日です。・・・・
ちょうど お正午に玉の様な赤ちゃんが お生まれになりました。  

お父様も お母様を初め みんなのの喜びはどんなであったでせう。

お 誕 生  其の二

お館の西の所に 双股の大きな椋の木がありましたが不思議なことには お誕生の時に どこからともなく 真白な幡が 二流 飛んで来て 此の木にかかりました。

そして お誕生を お祝ひして下れている様に見えましたが 七日目に亦 天空の美しい雲の中へ飛び去ったと云ふことであります。

お名まへを 勢至丸と おつけになりました。

御 幼 少

勢至丸様は大変お元気な子供になられました。

お父様が立派な武士でしたから お小さい時から 竹馬に載ったり近所の子供を集めて イクサごつこをしたりして お遊びになりました。 

七つ八つになられると 小さい弓で毎日弓のお稽古をなさいました。 子供乍らも次第に上達して その お上手なことは 大人も及ばず人々を驚かす程でした。

併しお元気なばかりでなく 大変おやさしく小さな子供をいたわり 動物を可愛がりました。 

又時には西のほうに向かって小さい掌を合わせてみ佛様を おがむ様なこともありました。

勢至丸さまが 九才になられた或る春の夜の出来事です。

夜 襲

ワーッと云ふ 鬨の声、

馬の嘶きメリメリと門を破る音。

「夜襲だ」 と 家来の一人が叫びました。

これはお父様の時国と平生 仲の良くない 源内武者 定明といふ武士が自分の家来たちを連れて 急に攻め寄せて来たのであります。

敵は はや 門の中へ入り込んで来ました。  
時国は枕を蹴って起き上がり 刀を執って 立ち出でました。

春 の 夜 襲   父 の 奮 戦 の 図

「ものども夜襲であるぞ 起きて参れ
夜討とは卑怯の振舞である 野武士か 山賊であらう
一人残らず討ち取って仕舞え」
と 声高らかに命令しました。

然し敵は大勢で しかも 充分に用意をしているのに引きかへて 見方は何の用意もない事とですから 射られたり 切られたり 一人倒れ二人傷つき 流石の時国も 身に数ヵ所の傷を受けました。

勢至丸様は落着き拂って 自分がいつも持っている小さい弓と矢を持つと 物陰に身をかくして ジット敵の様子を見ていました。

敵の大将   木陰で弓に矢をつがへている図

この時です 木の茂みから ヌーット 立ち上がったのは敵の大将 定明です。

お父様の時国の方を ヂート睨みながら 大きな 弓に矢をつがへてお父様の方へ向けようとしているではありませんか。

勢至丸様はお父様の生命が危ないと思ひましたから 急いで自分の持っている小さい弓に矢をつがえました。

小さい矢  子弓を引きしぼっている勢至丸の図

キリキリと満月の様に弓を しぼりました。

敵の大将の眉間を狙いました。

エィ!!

しぼった力を放しますと ピュー と うなりを立てて飛んで行った矢は 狙いあやまたづ 敵の大将の眉間へ

命 中    定明の眉間に立った矢

ハッシ と 命中しました。

敵の大将定明は思いがけない 矢に驚き乍 急いで 
矢を抜きましたが 流れる血汐に眼を開けている事が
出来ず

「者共引けッ」 と 退去の号令をかけ 馬に飛び乗ると家来たちと一緒に ワァツ と 大声を挙げ乍ら 一目散に逃げて行って終いました。

父 の 死   父の枕辺に勢至丸と母

お父様の時国は 重い手傷の下から
勢至丸 勢至丸
と お呼びになりました。
小さくともお強い勢至丸様は
「お父様 勢至丸は ここに居ます。 お心をしっかりお持ち下さい。 この仇はきっと私がとります。」
と 申上げますと お父様は苦しい息に力を入れて

「勢至丸 お前のその考へも結構であるがお父様は お前が出家して立派な上人様になって お父様の菩提を弔ふと共に多くの世の中の人たちに 仏様の正しい教えを弘めて呉れ これが最後の願いだ 勢至丸さらば!!」

勢至丸様の手をしっかりと握ってそのまま息は絶えて終いました。

風もないのに お庭の桜の花が ちらちらと散ります。 

御 出 家    観覚得業の前に両手をついている図

勢至丸は お父様の最後のお言葉をお守りになって その年の十二月 叔父さんに当る近くのお寺へ・・・・菩提寺の住職観覚得業の所へお弟子入りすることになりました。
九才の十二月 この山寺へ入って修行されました。

勢至丸様の賢いことは普通ではありません。

叔父さんも
「こんなによく勉強の出来る子供はめづらしい、 もう私の教へるものはない位だ、都の立派な先生につける方が、 この子の為によかろう」と お母様に相談になって 七年目に比叡山の源光と云ふ先生の所へおたのみになることになりました。

勢至丸様は叔父さんの書いたお手紙を持って住みなれた故郷をを立ち出でられました。

旅 衣  道中の図

久安三年春二月御年やっと十五才おなつかしい母上や十五年間の間 毎日仰いだ椋の木にも しばしの名残を惜しみ乍明子 舞子や 須磨の浦 奇麗な景色を眺めつつ難波をすぎて咲く花の京の都へお入りになりました。

緑の柳にしだれ桜 京は今春の盛りです。

大きなお寺や五重の塔もはるかに見えます。

遠く紫色に霞んでいるのは比叡山 勢至丸様の心は早くも此の山にのみ走っているのでした。

比叡山は西塔北谷と云ふ所に居られる持宝房源光上人の許へ 叔父さんからの手紙を差し出されました。

珠像一躯  源光の前に手をついている勢至丸

手紙を開いて御覧になると

「文珠様のお像を一体差し上げます」
と 書いてあるばかりですが 文珠様の像はどこにも見当たりません 手紙を持ってきた十五才の勢至丸様が そこに立って居られるだけです。

源光上人は ハタと膝を打って
「なる程 文珠様のように知慧がある賢い子供を送りとどけるから弟子にして呉れとのことか」

と 早速勢至丸様をお弟子になさいましたが、五十日ばかり教へただけで勢至丸様の御勉強がよくお出来になるのに驚いてしまわれ
「これは私よりもっと上の人にお願いしなければならない」と お考へになりました。

その年の四月八日に皇円阿闍梨の所へお上げになりました。

御 修 学   机に向かって読書中の勢至丸

皇円阿闍梨の許で御修学になった勢至丸様はお賢い上に一生懸命御勉強をされましたので、皇円阿闍梨からも教わる所がなくなって終いました。

そこで十八のとき 比叡山で一番偉い叡空上人に付くことになりました。

叡空上人も勢至丸様の御立派な御人格と御勉強の良くお出来になるのに感心され 法然といふ おほめのお名前をおつけになりました。

ここでも尊い仏様の御修行を一心に続けられたのであります。
 

法然上人  上人のお姿

この勢至丸様こそは、後に浄土宗と云ふ新しい仏様の教えをお開きになり

「誰でもお念仏を申して悪い心を持たないようにすれば、浄らかな国 平和な世界と仏様のような立派な方になることが出来る」

と 云ふことを私たちに教えて下さいました。

勢至丸様こそ後年の浄土宗の元祖 法然上人様であります。

開宗八百年記念 入涅槃聖日 昭和49年2月15日
弥陀浄土幼想図          山口達 謹画

天井絵由来    山口達画伯作並寄贈

この絵は昭和23年八幡公民館初代館長で
あった、菅野儀作参議院議員の懇望により、
友人の著名な日本画家 「山口 達」画伯に
よって、旧八幡公民館の天井に掲げるように
描かれ寄贈されたものである。

昭和47年、公民館の移転建替えに伴い倉庫に
保管してきたものです。

山口画伯のご好意により補修し新装成った
八幡公民館のロビー天井に飾ることに
なったものです。

約畳20枚の大きさの「四季草花図」であります。

製作には約2ヶ月ほどかかったそうです。

昭和 23年 6月
        一穂 作

これらのお写真は山口達画伯のアルバムよりお借りいたしました。

このお写真は旧公民館が老朽化のため(昭和47年)取り壊された折に
天井絵としてあったものを取り外し山口画伯が補修をしているところです。

現在は新しくなった八幡公民館のロビー天井に飾られています。

最初に描かれたのは昭和 23年 6月です。
この時の落款は  一穂 をお使いになっていられます。

最後までご覧頂ありがとうございました。

浜辺にて

昭和中期ごろまでの八幡海岸のスナップ。
八幡の人たちの大半は半農半漁、貝や海苔採りで生活を立てていました。女性の仕事の合間のだんらんの一時を描いたもので、当時の八幡海岸ののどかな風景が思い浮かびます。

作品の大きさ
  横 約 231cm
  縦 約 105 cm

鳳 凰

古来中国の想像上の鳥で、
オスを鳳、メスを凰という。

形は 前がキリン、後ろが鹿、 
尾は魚、背は亀などに似て、
聖徳の天使の兆しとして現れると
される。

作品は 旧八幡公民館の和室の
板戸に描かれていたもの。

作品の大きさ
  横 136 cm
  縦 167 cm

しゃも

シャモは鶏の一品種ですが、背が高く
精悍な姿をしています。

字は 「軍鶏」と書き、飼育して賭け事の「闘鶏」や食用とされました。

作品は旧八幡公民館の和室の板戸に描かれていたものです。

作品の大きさ
  横 136 cm
  縦 175 cm